天動説と地動説の違いとは?なぜ人類は地球中心を信じ続けたのか

天動説と地動説の違いとは?なぜ人類は地球中心を信じ続けたのか

天動説と地動説の違いとは?なぜ人類は地球中心を信じ続けたのかについて見逃せない 注意点を分かりやすい構成で解説いたします。

長きにわたり盤石だった宇宙観に風穴を開けたのが、ポーランドの司祭であり天文学者だったニコラウス・コペルニクスです。プトレマイオスの体系があまりに複雑化しすぎていることに美学的な疑問を抱いた彼は、太陽を中心に据え直すことで計算が劇的にシンプルになることを発見しました。しかし、彼自身が教会関係者であったこともあり、批判や混乱を懸念して理論の公開を躊躇し続けました。名著『天球の回転について』が印刷されたのは、彼が世を去る1543年のことでした。

ここでしばしば語られるのが「教会による激しい科学弾圧」という物語です。1600年に火刑に処されたジョルダーノ・ブルーノの処刑理由も、地動説を叫んだからだと信じられがちですが、歴史の事実は少々異なります。ブルーノが異端審問で断罪された主たる理由は、キリストの神性否定や三位一体の否定、魂の輪廻転生といった神学上の急進的な異端教義であり、地動説はその思想の一部に過ぎませんでした。

一方、望遠鏡を用いて木星の衛星や金星の満ち欠けを発見し、地動説の動かぬ物的証拠を積み上げたのがガリレオ・ガリレイです。彼が巻き込まれた1633年の宗教裁判は、純粋な信仰と科学の戦いというより、当時のカトリック教会内部の権力闘争や政治情勢が深く絡んでいました。著書『天文対話』の中で、友誼を結んでいた教皇ウルバヌス8世の意見を道化役(シンプリチオ)に語らせてしまったことなど、教皇の怒りを買った個人的・政治的失策が裁判を決定的なものにしました。

ガリレオは異端の疑いで有罪判決を受け、自説の撤回を余儀なくされましたが、火刑や激しい拷問に遭ったわけではなく、フィレンツェ郊外の別荘で生涯軟禁という形で研究を続けました。教会の対応は硬直的であったものの、そこには現代の私たちが想像する単純な「悪の教会対正義の科学者」という構図を超えた、人間味と時代の力学が渦巻いていたのです。

阿部 裕樹
著者

阿部 裕樹

マネー知識やキャリア形成に役立つノウハウを、初心者にも分かりやすく解説するのが得意です。