インターネット上の掲示板やまとめ記事などでは、往々にして「女優が濡れ場を演じるのは話題作りや人気凋落のテコ入れではないか」という短絡的な言説が散見されます。しかし、田畑智子の足跡を精査すると、この見立てが全く的外れであることが明白です。
彼女は『ふがいない僕は空を見た』以前から、映画『血と骨』(崔洋一監督)や『大停電の夜に』(源孝志監督)、『さんかく』(吉田恵輔監督)など、作家性の強い日本映画界のトップランナーたちの作品に重宝され続けていました。仕事に困って奇をてらった露出をしたのではなく、オファーの絶えない中で、脚本の持つ文学性と役柄の宿命に共鳴して選び取った挑戦だったのです。
また、「事務所やプロデューサーに強いられたのではないか」という穿った見方も存在しますが、当時の制作関係者の証言や本人の語り口から見ても、本人の強い主体性とクリエイティブへの自負による決断であったことは疑いようがありません。安易なスキャンダリズムで消費されることを拒絶した彼女のプロ意識こそが、作品の気品を保ち続けさせています。