桐島が潜伏していた神奈川県藤沢市の現場周辺を取材すると、彼が築き上げていた人間関係の特異なバランスが浮かび上がってきます。彼が勤めていた工務店の関係者は、警察の捜査開始後に「怒鳴ることもなく、酒を飲んでも暴れることなど一度もなかった。腰痛を抱えながらも現場に出ていたあの人が、なぜ」と一様に困惑を隠せませんでした。
地域のコミュニティにおいても、彼は「干渉されない居場所」を巧みに確保していました。定期的に顔を出していた飲食店では、音楽の話題には饒舌になるものの、自らの出身地や家族、過去の経歴については一切語りませんでした。周囲もまた、「訳ありの職人」としてそのプライベートに深く立ち入ることをあえて避けていた節があります。
インターネット上の掲示板やSNSでは「近所の住民は気づいていたのではないか」「周囲が匿っていたのではないか」といった憶測が飛び交いました。しかし、実際の現場の証言を積み上げると、組織的な隠蔽工作は一切存在せず、むしろ「詮索しない優しさ」や「無関心」が結果として彼を保護する防壁になっていたことが分かります。孤独を好む労働者が都市の周縁部に溶け込む光景は、高度経済成長期からバブル期、そして平成にかけての日本社会において決して珍しいものではなかったのです。