この名曲について、ネット上や入門者の間で今なお根強く残る最大の誤解があります。それは「ボブ・ディランは生涯にわたって社会変革を叫び続けたプロテスト・シンガーの代表格である」という固定観念です。
実態はその正反対でした。このアルバムを発表し、熱狂的な支持を集めたまさにその瞬間、ディランは運動から急速に身を引きました。1964年後半に発表した次作『アナザー・サイド・オブ・ボブ・ディラン』では内省的な詩世界へと舵を切り、1965年にはエレキギターを手にしてフォーク界から激しい裏切り者バッシングを浴びることになります。
後年のインタビューでディランは、自身に向けられた「若者の代弁者(Spokesman of a Generation)」という肩書きについて、次のように吐露しています。
「自分は誰の代弁者でもなかった。ただ歌を書いていただけだ。人々が勝手に旗を掲げ、自分をその旗手に仕立て上げたに過ぎない」
ディランが嫌ったのは、思想や主義主張が硬直化し、新たな「権威」となって人間を縛ることでした。この曲の根底にあるのは特定のイデオロギーではなく、「すべての固定観念は時間とともに洗い流される」という冷淡なまでの無常観です。
2016年にボブ・ディランへノーベル文学賞が授与された理由として、スウェーデン・アカデミーは「偉大なアメリカの歌の伝統において、新たな詩的表現を創造したこと」を挙げました。プロテスト活動への評価ではなく、言語と形式の芸術的達成が認められたことからも、この曲が政治的パンフレットの域をはるかに超えた詩文学であることが証明されています。