1191年(建久2年)、この行政機構は大きな節目を迎える。公文所は発展的に解消され、「政所」へと改称・再編されたのである。これまで、この変遷は単に頼朝の位階昇進に伴う形式的な格上げと説明されることが多かった。しかし、2026年最新の研究動向が示すのは、より深謀遠慮に満ちた構造改革の姿である。
新たに解読された古文書群は、公文所が担っていた財政・法制・行政の各機能が、政所への移行期においていかに高度に分権・統合されたかを物語る。政治的実権が名実ともに鎌倉に確立されたことを内外に鼓舞する狙いがあり、武家政権の自立宣言に他ならなかった。政所別当としての地位を固めた大江広元は、その後も北条氏と協力しながら、幕府の集団指導体制を裏から支え続けることになる。