広島護国神社を語る上で欠かせないのが、その数奇な変遷です。多くの観光客、そして一部の若い市民すら見落としがちですが、現在の広島護国神社は創建当時の場所にはありません。
歴史の記録を紐解くと、この神社は1868年(明治元年)、戊辰戦争で戦死した広島藩士らを祀るために設置された「水府町招魂社」に始まります。その後、社名が広島護国神社と改称され、現在の中区中島町——すなわち現在の平和記念公園原爆死没者慰霊碑のすぐ西側付近に社殿が建てられていました。
1945年8月6日、原子爆弾投下により社殿は一瞬にして灰燼に帰し、当時の神職や関係者も犠牲となりました。戦後、壊滅した中島町一帯が「平和記念公園」として再整備されることが決定したため、神社は移転を余儀なくされ、1956年に現在の広島城本丸跡へ再建・遷座されたのです。
この歴史的事実は、ネット上で時折生じる「平和主義と護国神社の対立」という構図が、いかに浅薄なものであるかを証明しています。広島護国神社自体が、原爆の爆心地近くで被災した「被爆遺構」の側面を背負っており、戦災死没者や原爆犠牲者を合祀している歴史を持ちます。対立関係にあるのではなく、広島という街が経験した苛烈な破壊と復興の歩みを、鏡の裏表のように共有している存在なのです。