ベルサイユ宮殿のトイレ事情を語る際、必ずといっていいほどセットで語られるのが「香水の誕生」と「ハイヒールの発明」に関するエピソードです。しかし、これらはネット上で事実が歪曲された典型的な都市伝説を含んでいます。
まず香水について検証してみましょう。「香水はベルサイユ宮殿の糞尿の悪臭を消すために生まれた」という説は、「半分真実だが、発祥理由としては誤り」です。香水そのものの起源は古代メソポタミアや古代エジプトの宗教儀式に遡り、中世ヨーロッパでは南仏グラースの革なめし職人が、革特有の生臭さを消すために植物性の芳香油を塗布したことが産業のルーツです。
ただし、ベルサイユ宮殿において香水の消費量が世界史上類を見ないレベルに達した背景には、過酷な悪臭問題と「入浴恐怖症」が存在したのは事実です。当時の医学界では「水風呂に入ると毛穴が開き、そこからペストなどの病原菌が体内に侵入する」という迷信が真剣に信じられていました。国王ルイ14世が生涯で数回しか入浴しなかったという逸話通り、水で身体を洗う習慣がなかった貴族たちは、自身の体臭と周囲に漂う汚物の臭気をマスキングするため、麝香(ムスク)やローズウォーターを浴びるように身体や衣服、かつらに振りかけていました。
次に、ハイヒールに関する俗説です。「路上に散乱する糞尿を踏まないためにヒールが高くなった」という説は、現在ではほぼ完全な俗説(後付けの俗解)であることが服飾史研究で明らかになっています。
ハイヒールの起源は16世紀末、ペルシャ(現イラン)の騎兵が馬の鐙(あぶみ)に靴底をしっかり固定するために考案した軍用靴でした。それが西欧諸国に伝来し、男性貴族の乗馬用ブーツとして普及。やがて「足を小さく見せ、背を高く威厳ある姿に見せる」という権威主義的なファッションとして定着しました。ルイ14世自身、自身の小柄な体躯(推定身長163cm前後)を堂々と見せるため、鮮やかな赤に染めた高いヒール靴を好んで履き、特権階級の象徴として着用を厳しく管理していました。汚物を避ける目的で作られたわけではありません。