ハーモニーランドがオープンしたのは、日本がバブル景気の熱気に包まれていた1991年4月26日のことです。東京都多摩市にサンリオピューロランドが開園したわずか4カ月後、遠く離れた九州・大分の地に第2のサンリオパークが産声を上げました。
この地に建設が決まった最大の要因は、1987年に制定された「総合保養地域整備法(通称:リゾート法)」と、当時の大分県知事・平松守彦氏が推し進めた強力な地域開発政策にあります。平松知事は「一村一品運動」をはじめとする地域活性化策で全国的に知られ、先端技術産業や観光レジャー産業の積極的な企業誘致を推進していました。
大分県と日出町は、広大な山林を用地として迅速に確保し、税制面やインフラ整備を含めた手厚い支援体制を整えてサンリオへ熱烈なアプローチを行いました。温暖な気候と別府湾を望む美しい丘陵地、そして近隣に別府温泉という日本屈指の観光資源を抱える立地条件は、サンリオ側が求めていた「広大な自然の中で展開するリゾートパーク」の理想と完全に合致したのです。