西行「願わくば花の下にて春死なん」真相|釈迦入滅に殉じた奇跡の死生観

西行「願わくば花の下にて春死なん」真相|釈迦入滅に殉じた奇跡の死生観

西行「願わくば花の下にて春死なん」真相|釈迦入滅に殉じた奇跡の死生観に関する主要なデータを分かりやすく解説いたします。

Q1:「願わくば花の下にて春死なん」の続きの句(下の句)は何ですか?
A1:続きの下の句は「そのきさらぎの望月のころ(その如月の望月のころ)」です。全体で「願はくは 花の下にて 春死なむ そのきさらぎの 望月のころ」という五・七・五・七・七の短歌形式を成しています。

Q2:歌の作者である西行法師とはどんな人物ですか?
A2:平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて活動した僧侶・歌人です。本名は佐藤義清(さとうのりきよ)。元は鳥羽上皇を護衛するエリート武士「北面の武士」でしたが、23歳で突如出家し、諸国を旅しながら自然や仏道を詠み続けました。『新古今和歌集』に最多の94首が選ばれるなど、日本文学史を代表する巨人の一人です。

Q3:なぜ「如月の望月」が釈迦入滅を意味するのですか?
A3:「如月(きさらぎ)」は旧暦2月の別名で、「望月(もちづき)」は満月、すなわち月の十五夜を指します。仏教の伝統において、開祖である釈迦が亡くなった(入滅した)日が旧暦2月15日とされているため、「如月の望月」は釈迦の命日を象徴する言葉となっています。

Q4:西行法師は本当にこの歌の通りに亡くなったのですか?
A4:はい、事実です。西行は建久元年(1190年)旧暦2月16日、河内国の弘川寺にて73歳で亡くなりました。釈迦入滅の日(2月15日)のわずか翌日であり、桜の季節に満月を背にしてこの世を去ったこの符合は、当時から現在に至るまで「奇跡の大往生」として語り継がれています。

Q5:西行の死因について自死や切腹の可能性はありますか?
A5:自死の可能性は学術的に否定されています。仏教において自害は重い罪とされており、熱心な信徒であった西行が自ら命を絶つことは考えられません。当時の記録からも、弘川寺の庵室で弟子たちに看取られながら、老衰と病気によって静かに息を引き取った自然死であることが確認されています。

井上 凛
著者

井上 凛

心身ともに健康で持続可能なライフスタイルをテーマに、最新のウェルネストレンドを発信中。