ネット空間やソーシャルメディア上では、碧南火力発電所を巡って両極端な言説が飛び交っています。しかし、その多くには決定的な事実誤認が含まれています。
1つ目の誤解は、「アンモニア混焼は日本企業による無意味な悪あがきであり、世界では全く相手にされていない」という言説です。これは事実に反します。東南アジアやインドなどの新興国では、急速に拡大する電力需要を満たすため、近年建設されたばかりの超臨界圧石炭火力が数百基規模で稼働しています。これらの国々に「再エネだけに頼って石炭を即刻全廃しろ」と迫ることは経済破綻を意味します。インドネシアやフィリピンなどのアジア諸国は、日本が碧南で実証を進めるアンモニア混焼技術を「既存設備を活かしながら現実的にCO2を減らせる切り札」として固唾をのんで見守っています。日本政府が主導する「アジア・ゼロエミッション共同体(AZEC)」構想の中核技術として、アジア市場での需要は極めて堅調です。
2つ目の誤解は、逆に「アンモニア20%混焼が完了したから、碧南はすでにクリーンエネルギーになった」という楽観論です。前述した通り、燃料の8割は依然として石炭であり、排出されるCO2の絶対量はLNG火力よりも依然として大きいのが現実です。さらに、現在使われているアンモニアの製造工程で生じるCO2を回収・地中貯留(CCS)する技術が商業ベースで世界中に確立されない限り、「サプライチェーン全体での脱炭素」とは到底呼べません。「燃やす現場のゼロエミッション」と「地球全体のゼロエミッション」の間には、未だ埋めがたい乖離が存在することを直視しなければなりません。
【プロの結論】エネルギー安全保障と脱炭素の狭間で問われる選択基準
エネルギー経済および産業社会学の視点から碧南火力発電所の挑戦を総括するならば、これは「理想論としての気候正義と、冷徹なエネルギー安全保障のせめぎ合い」そのものです。
日本は平地面積あたりの太陽光パネル設置密度がすでに世界一水準にあり、大規模な揚水発電や蓄電池、連系線の容量にも地理的な限界を抱えています。ウクライナ危機以降の天然ガス争奪戦やホルムズ海峡の地政学リスクを鑑みれば、燃料備蓄が容易で価格が比較的安定している石炭という選択肢を一夜にしてゼロにすることは、国家としての自殺行為に等しい判断です。
したがって、碧南火力発電所の歩みに対する評価基準は、立場によって明確に分かれることになります。
- 高く評価できる立場:「製造業の国際競争力を守るための安価で安定した電力供給」を最優先とし、新興国へ展開可能なトランジション(移行期)技術の確立を現実的解と捉える視点。
- 慎重・批判的にならざるを得ない立場:「1.5℃目標の達成に向けた迅速な化石燃料フェーズアウト」とESG投資の基準遵守を絶対視し、巨額の税金や投資が石炭設備の延命に固定化(ロックイン効果)されるリスクを憂慮する視点。
碧南火力は単なる一企業の発電プラントではありません。日本という資源なき工業国家が、脱炭素という未曾有の国際ルールの中でいかに生き残るかを賭けた、壮大な社会実験の最前線なのです。