1994年4月26日、大山倍達は東京都内の病院で急逝しました。死因は肺癌。享年70。直前まで道場生の指導に情熱を燃やし、ヘビースモーカーとしても知られていた怪物の命を病魔は急速に蝕んでいきました。
悲劇は総帥の死の直後に幕を開けました。大山の病床で口述筆記されたとされる「遺言書」が突如として公開されたのです。そこには、第8回全日本王者であり第4回世界大会王者でもあった若き愛弟子・松井章圭を第2代館長に指名する旨が明記されていました。この指名に対し、長年組織を支えてきた全国の古参支部長たちで構成される支部長協議会、そして大山の妻・智弥子夫人をはじめとする遺族側が猛反発を示します。
事態は泥沼の法廷闘争へと発展しました。遺族側が提起した「遺言無効確認請求訴訟」において、東京地裁および東京高裁は、遺言書作成時における大山の意識状態や立会人の不自然さを指摘し、最終的に遺言書は無効であるとの確定判決を下しました。しかし、すでに組織の実効支配を巡る亀裂は修復不可能なレベルに達しており、極真会館は松井派(現・国際空手道連盟極真会館)、支部長協議会派(後の新極真会など)、遺族派(極真会館宗家など)へと分裂を余儀なくされたのです。
💡 遺言書無効判決が浮き彫りにした本質最高裁判所まで争われた法廷闘争の結果、法的には遺言の効力が否定されました。しかし、松井章圭氏を中心とするグループが競技水準の維持とグローバル展開を推進する一方で、他派閥も独自のトーナメントを開催するなど、カリスマ不在となった「極真」の看板は分散し、武道界における絶対的統制力は永遠に失われることとなりました。