秀吉の天下取りを支えた二大参謀として、並び称されるのが竹中半兵衛と黒田官兵衛(孝高)の「両兵衛(二兵衛)」です。秀吉自身が「我が両眼」と称賛したとされる2人ですが、その人物像や戦術思想には際立ったコントラストが存在します。
【竹中半兵衛と黒田官兵衛の主な違い】
・竹中半兵衛:華奢で色白、女性と見紛うほどの美貌を持っていたと伝えられる。野心を持たず、義理堅く誠実な人柄。敵を無駄に殺さず、戦局の調停や人命を重んじる軍略を好んだ。
・黒田官兵衛:大柄で豪胆、現実主義の冷徹な策略家。天下の覇権を見据えるほどの野心を秘め、後に秀吉から「次の天下を狙う男」として警戒されるほどの謀略の深さを持っていた。
性格や志向は対照的だった2人ですが、その信頼関係は非常に強固でした。それを証明する最大の出来事が、天正6年(1578年)の有岡城の戦いです。織田方を裏切った荒木村重を説得するため単身城へ乗り込んだ官兵衛が幽閉された際、信長は官兵衛も裏切ったと誤認し、人質として預かっていた官兵衛の嫡男・松寿丸(後の黒田長政)の処刑を命じました。
この絶体絶命の危機に、半兵衛は自らの首を賭けて信長の命に背き、松寿丸を自身の領地に密かに匿いました。後に救出された官兵衛は半兵衛の深謀遠慮と慈悲に涙を流して感謝し、黒田家は竹中家の家紋を自らの家紋に採り入れるなど、その恩義を生涯忘れなかったと伝えられています。