神社の鳥居をくぐる前に多くの参拝客が抱く疑問が、その名称の読み方です。漢字をそのまま追うと「にしかんだ」「さいかんだ」と読みたくなりますが、正しくは「ささむたじんじゃ」と発音します。鎮座地周辺の地名である「寒田」は「そうだ」と読まれるため、初見での難易度は極めて高い部類に入ります。
神社の起源は神話の時代にまで遡ります。社伝や大分市教育委員会の記録によると、神功皇后が三韓征伐からの帰途、西寒田山(現在の本宮山)の頂上に白旗を立て、国土の平安を祈願して神々を祀ったことが創祀と伝えられています。山岳信仰に端を発するこの聖地は、やがて豊後国(現在の大分県)における最高位の社である豊後国一宮として崇敬を集めるに至りました。
現在の社殿が建つ地に遷座したのは室町時代の応永15年(1408年)。豊後国の守護大名であった大友氏第10代当主・大友親世が、本宮山頂から寒田川のほとりへと神霊を移し、社殿を壮麗に造営しました。以来、武家の崇敬のみならず地域住民の心の拠り所として親しまれ、明治4年には国幣中社に列格するなど、名実ともに大分を代表する大社としての歴史を紡ぎ続けています。