星新一の作品に漂う「人間に対する底知れない不信感」と「冷徹な諦念」。そのルーツを辿ると、彼が青年期に経験した壮絶な生い立ちと、父親をめぐる過酷な実業の世界に行き着きます。
星新一の父・星一(ほし・はじめ)は、福島県出身の立志伝中の人物であり、製薬大手「星製薬」の創業者です。衆議院議員や貴族院議員も務め、黄熱病研究で名高い野口英世の後援者としても歴史に名を残す名士でした。さらに母方の祖母は森鴎外の妹・小金井喜美子であり、星新一はまさに日本の近代政財界・文壇の頂点に連なる名門の御曹司として生を受けました。
しかし、栄華は長く続きませんでした。1951年、父・星一がアメリカ出張中に急死。長男であった星新一は、20代半ばにして突如、星製薬の社長職を継ぐことを余儀なくされます。だが当時の星製薬は、政財界を揺るがす疑獄事件の余波と経営難により、事実上の破綻状態に瀕していました。
社長に就任した星新一を待っていたのは、連日押し寄せる債権者からの激しい取り立て、株主による裏切り、そしてかつて父親に恩義を感じていたはずの政財界幹部たちの冷酷な手のひら返しでした。自著『祖父・小金井良精の事績』や後年の回顧手記でも吐露されている通り、彼はこの破滅的な経営危機のさなかで「金と権力を前にした人間の真の醜さ」を嫌というほど骨の髄まで叩き込まれたのです。
会社は大谷米太郎(ホテルニューオータニ創業者)の手によって再建が図られ、星新一は経営から退くことになります。この修羅場を通じて背負った心の傷と人間不信が、後に江戸川乱歩に見出されて同人誌『宇宙塵』から作家デビューした際、感傷を一切排した「乾いたユーモア」へと昇華されました。彼の描くエヌ氏がどこか冷酷で、愚かな選択をして自滅していく姿は、かつて父の周囲で群れをなしていた人間たちのリアルな観察記録でもあったのです。