韓国が経済発展と民主化を勝ち取る過程において、指導者たちの選択は常に血と硝煙の歴史と隣り合わせでした。
1979年に起きた朴正煕暗殺事件詳細は、独裁の極限が招いた悲劇の象徴です。18年間にわたり強権統治を敷いた朴正煕は、側近である中央情報部(KCIA)部長の金載圭によって酒席で射殺されました。カリスマ指導者の突然の死は、韓国社会に計り知れない衝撃を与えました。
その後、権力の空白を突いて実権を握ったのが全斗煥です。1980年に発生した全斗煥光州事件では、民主化を求める市民に対して軍が発砲し、多数の死傷者を出す流血の事態となりました。全斗煥は退任後、反乱首魁罪や内乱罪に問われ、法廷で死刑判決を言い渡されることになります。
1990年代末、アジア通貨危機の混乱期に登場した金大中は、北朝鮮との融和を図る金大中太陽政策を打ち出し、2000年に史上初の南北首脳会談を実現させました。しかし、輝かしい外交成果の一方で、任期末期には息子3人が汚職に関与した疑いで相次いで逮捕されるなど、家族スキャンダルの呪縛からは逃れられませんでした。