派閥の解散が発表された時、世間は政治改革への第一歩だと受け止めた。しかし、実際の永田町で起きていたのは構造の解体ではなく、単なる「隠蔽工作」に過ぎなかったという声は根強い。公的には看板を下ろしたものの、かつて事務所を構えていた平河町のオフィス近くには、元構成員たちが今も頻繁に集う密談の場が存在する。
派閥という公式な枠組みを失ったことで、かえって資金や人事のコントロールは不透明さを増した。かつて集団指導体制を敷いていた幹部らは、個別の勉強会や新設団体へと資金流用のチャンネルを細分化。監視の目を逃れるための複雑な迂回ルートが構築されている。