Hey! Say! Jumpメンバーカラーの真相!決め方や変更の歴史【2026】

Hey! Say! Jumpメンバーカラーの真相!決め方や変更の歴史【2026】

話題沸騰中の Hey! Say! Jumpメンバーカラーの真相!決め方や変更の歴史【2026】について、多角的な視点を整理して公開しています。

Hey! Say! JUMPのカラーヒストリーを語る上で、避けて通れないのが「デビュー初期のカラー未固定期」と「赤の継承」にまつわる歴史です。熱心なオールドファンであれば記憶に刻まれている通り、2007年11月の『Ultra Music Power』リリース当時、事務所側はメンバーカラーを厳格に固定していませんでした。

初期のステージや音楽番組、コンサート『SUMMARY』などでは、衣装のローテーションによってメンバーが身に纏う色はめまぐるしく変化していました。当時の芸能関係者の証言によると、「初期の10人体制という大所帯において、特定の色に縛られることによるビジュアルの硬直化を避け、演出の柔軟性を保つ意図があった」とされています。

その中で最大のドラマとなったのが、中島裕翔から山田涼介へのセンターポジション移行に伴うカラーの再編です。

デビュー曲において堂々のセンターを務め、衣装でも「赤」をあてがわれていたのは中島裕翔でした。ドラマ主演などを経て王道アイドルとしての道を歩んでいた中島に対し、ジャニー喜多川氏をはじめとする制作陣は、次第に山田涼介の放つ圧倒的な求心力と憑依的な表現力に着目していきます。シングル曲を重ねるごとに山田がセンターに立つカットが増加し、2009年から2010年にかけてグループのフォーメーションは劇的な転換期を迎えました。

公の場や雑誌の対談において、中島本人は当時を振り返り、「センターから外された瞬間の悔しさや葛藤は凄まじかった」と率直な胸中を明かしています。しかし、その悔しさをバネに中島はドラムの習得や俳優業、メンズ誌のレギュラーモデルとしての立ち位置を自力で確立。その結果、彼の持つ高身長でクリーン、かつ誠実なパーソナリティに最も合致する色として「水色」が授けられたのです。

一方、重圧の中で真のセンターへと登りつめた山田涼介は、文字通りグループの心臓として「赤」を引き受けました。誰に頼まれるでもなく「Hey! Say! JUMPの看板を自分が背負う」という強烈な覚悟を瞳に宿した山田の姿は、まさに赤の持つ情熱とドラマツルギーそのものでした。この2人の魂の交代劇を経て、グループのカラー配分は単なる事務所の采配を超え、メンバー自身の生き様を反映した必然の形へと昇華していったのです。

井上 凛
著者

井上 凛

心身ともに健康で持続可能なライフスタイルをテーマに、最新のウェルネストレンドを発信中。