日本における外食産業の原型は、江戸時代中期から後期にかけて一気に形成されました。その最大の契機となったのが、1657年に発生した明歴の大火(振袖火事)です。焦土と化した江戸の町を再建するため、全国各地から大工や左官、人足といった復興に携わる労働者が大量に流入しました。
さらに参勤交代制度によって武士の単身赴任も日常化し、当時の江戸市中は男性の人口が女性の約2倍という極端な男社会となります。独身の職人や労働者が暮らす長屋(裏長屋)はわずか四畳半から六畳程度の狭小スペースで、台所設備は極めて貧弱でした。
加えて「火事と喧嘩は江戸の華」と称されるほど大火を恐れた幕府は、長屋での煮炊きや油を使った調理を厳しく制限します。「自炊ができない・料理をする時間がない・いますぐ温かい飯を食べたい」という膨大な単身男性の需要に応える形で、手軽に立ち寄れる屋台が街の至る所へ急速に広がっていきました。