日本のラーメン文化史を語るうえで、昭和末期から平成初期の「環七ラーメン戦争」は避けて通れない一大ムーブメントでした。その震源地となったのが、板橋区前野町の環七沿いにあった「土佐っ子ラーメン」です。夜な夜なタクシードライバーや若者が集まり、色分けされた割り箸で注文と会計を管理する独特のスタイルの中、雪のように降り注ぐ背脂ラーメンをすすっていました。
当時の常連客やラーメン史研究家の記録によると、土佐っ子の厨房で腕を振るっていた中心的な職人の一人が、のちに独立して板橋区富士見街道沿い(下頭橋のたもと付近)に構えたのが下頭橋ラーメンの始まりです。店名は板橋宿近くの旧川越街道に架かる史跡「下頭橋(げとうばし)」に由来します。
土佐っ子本店の味は経営の変遷とともに拡散・分派していきましたが、下頭橋ラーメンの店主は頑ななまでに当時の配合と仕込みを維持しました。「背脂の甘みで醤油のカドを包み込む」という元祖背脂チャッチャ系の真髄は、流行に左右されることなく下頭橋の地で守り抜かれたのです。