太宰の死の直後から、文壇関係者やファンの間で「山崎富栄による無理心中、あるいは他殺に近い状況だったのではないか」という疑惑が急速に広まりました。その背景には、主に3つの不可解な要素が存在します。
第一の理由は、玉川上水の土手に残されていた「擦り足の痕跡」です。当時の現場検証において、玉川上水の急流へ向かって滑り落ちた足跡のほかに、まるで水に入るのを躊躇して踏みとどまろうとしたかのような靴の跡が見つかったと報じられました。坂口安吾をはじめとする無頼派の盟友たちも、太宰の性格からして「土壇場で死を恐れて逃げ出そうとしたのではないか」という見解を口にしており、富栄がためらう太宰を強引に引きずり込んだとする「無理心中説」の有力な根拠とされてきました。
第二の理由は、二人の圧倒的な体力差と健康状態の乖離です。当時の太宰は結核の末期症状にあり、頻繁な喀血と極度の栄養失調で体重は40キロ台前半まで激減していました。自力で歩くことすら覚束ないほど衰弱していた太宰に対し、美容師として活動していた28歳の山崎富栄は若く体力も充実していました。衰弱した太宰に抵抗する力はなく、富栄の強固な死への意志に絡め取られて水中に引き倒されたのではないかという見立てが、まことしやかに語られることとなったのです。
第三の理由は、親友であり師とも仰いだ作家・井伏鱒二らの複雑な証言や、当時の週刊誌報道によるセンセーショナリズムです。井伏は心中という結末に対して終生、釈然としない心情を吐露しており、太宰が他力によって命を奪われたかのようなニュアンスを残しました。しかし、警察の捜査では他者の介入を示す第三者の痕跡は一切検出されず、法的な「他殺」の立証は完全に否定されています。