引田天功の名をネット上で検索すると、今なお「本番中の脱出失敗による水死」「爆破に巻き込まれた事故死」といった誤解や都市伝説が散見されます。しかし、脱出事故による死亡という説は明確な誤りです。
公式の記録および当時の報道各社の取材データが示す初代引田天功の死因は急性心不全。具体的には、重度の虚血性心疾患(心筋梗塞・冠動脈疾患)の悪化による病死でした。1979(昭和54)年12月31日、年越しを目前にした東京・六本木の自宅マンションで突如倒れ、そのまま帰らぬ人となったのです。享年はわずか45歳でした。
なぜ、これほどまでに若くして心臓が限界を迎えてしまったのか。その引き金となったのは、紛れもなく脱出イリュージョンがもたらした極限の肉体疲労と過度の精神的ストレスです。
天功は亡くなる数年前から重い心臓病(狭心症)を患っており、1975年頃には医師から「即座に過激なステージを止めなければ命に関わる」と強いドクターストップを宣告されていました。氷水に浸かるショック、爆炎による有害ガスの吸引、アドレナリンが極限まで分泌される興奮状態と急激な弛緩の反復は、動脈硬化の進んだ心臓にとって致命的な負荷でした。
さらに、全国巡業と過密なテレビ収録スケジュール、巨額の制作費とスタッフの生活を背負う重圧が重なり、彼はニトログリセリンの錠剤をポケットに忍ばせながらステージに立ち続けたと伝えられています。命がけのパフォーマンスを売りにしていた表現者が、奇しくも舞台裏で自らの命のタイムリミットと闘っていたという事実が、昭和エンタメ史の壮絶さを物語っています。