1958年から『オール讀物』に連載された山本周五郎の代表作『赤ひげ診療譚』は、医療小説の枠を超えた濃密な人間ドラマです。物語は、幕府の医官を目指すエリート青年・保本登(やすもと・のぼる)の視点を通じて描かれます。
長崎で最先端の蘭学医療を修め、将来を嘱望されていた保本は、出世コースから外れて薄汚れた小石川養生所に見習い医として送り込まれます。不満と反発を抱える保本を迎えたのは、赤錆色の無精髭を生やし、粗野で近寄りがたい雰囲気を漂わせる筆頭医師・新出去定(通称・赤ひげ)でした。
反抗的な態度を取り続ける保本でしたが、赤ひげの臨床現場に立ち会う中で価値観が根底から覆されていきます。赤ひげが向き合っていたのは、単なる病気や外傷ではなく、貧困、DV、差別、絶望といった患者が背負う過酷な人生そのものでした。狂女と呼ばれるおなか、臨終を迎える職人・佐八、過酷な境遇から心を閉ざした少女・おとよらとの出会いを通じ、保本は「病を診て人を診ず」だった自身の浅薄さを痛感し、真の医の道へと目覚めていきます。