心理学の世界において、人間の動機づけを語るうえで欠かせないのがアブラハム・マズローが提唱したマズローの欲求5段階説です。ピラミッドの最下層に位置する「生理的欲求」には、呼吸、体温維持、排泄、飲食、睡眠、性行動など、生体が生き延びるための全機能が含まれます。つまり、心理学・生化学的に見れば、欲求はそもそも「3つ」に限定されていません。
では、なぜ日本では「食欲・睡眠欲・性欲」が三大欲求として定着したのでしょうか。その三大欲求の由来を辿ると、古代中国の儒教や仏教の経典に登場する「食色性也(飲食と男女の情欲は人間の本性である)」という思想、さらには近代日本における通俗道徳や心理学の啓発言説が混ざり合って形成された経緯が見えてきます。
ここで必ず浮上するのが、「なぜ排泄欲が入っていないのか」という疑問です。生理的な緊急度で言えば、排泄欲は食欲や睡眠欲を上回る切迫感を持っています。しかし、排泄は「体内に取り込んだものを出す反射的な生理現象」であり、習慣化や自己実現、快楽の追求・文化的な昇華として語られにくかった点が挙げられます。古くから人間社会が「獲得する行動(摂食・睡眠・生殖)」を生活の中心に据え、排泄をタブー視・不可視化してきた文化的背景が、三大欲求の枠組みから除外された決定打といえます。