椿大神社と伊勢市の猿田彦神社は、どちらも猿田彦大神を奉斎しながら、成立の起源と歩んできた歴史的背景が大きく異なります。両社の本質を見極めるには、それぞれの由緒を客観的に辿る必要があります。
椿大神社(つばきおおかみやしろ)は、社伝によると垂仁天皇27年(紀元前3年)の創建と伝わります。背後にそびえる鈴鹿山脈の名峰・入道ヶ岳の山頂には奥宮が鎮座し、太古の自然崇拝や山岳信仰を基盤としています。平安時代の『延喜式』で小社に列し、のちに伊勢国一宮として公認されました。同社宮司を代々務める山本家は、猿田彦大神の末裔を称し、全国の猿田彦信仰の中心を担ってきた自負を持ちます。
一方、伊勢市宇治浦田の猿田彦神社は、まったく異なるアプローチから現在の尊崇を集めています。御祭神は猿田彦大神と、その直系の子孫とされる大田命(おおたのみこと)です。大田命は垂仁天皇の御代、倭姫命(やまとひめのみこと)が天照大御神の鎮座地を求めて巡行された際、五十鈴川の川上を献上して現在の内宮創建を導いた功労者とされます。
この大田命の子孫が、代々伊勢神宮の玉串大内人(たまぐしおおうちんど)という重要職を務めた宇治土公(うじのつちぎみ)家です。伊勢の猿田彦神社はもともと、宇治土公家の敷地内で先祖代々の守護神として私的に祀られていた屋敷神でした。明治維新後の近代社格制度に伴い、神職家の一私祭から公の神社へと移行し、1935年(昭和10年)には内務省より県社昇格の認可を受けました。戦後は神社本庁の別表神社に加列し、現在に至っています。
つまり、山岳信仰をルーツとし古代律令国家公認の一宮へと発展したのが椿大神社であり、皇大神宮鎮座の功労者一族が屋敷神として守り継ぎ、近代以降に「道開きの祖神」として全国的な崇敬を獲得したのが伊勢の猿田彦神社という関係です。