日枝神社の歴史は、鎌倉時代初期に江戸氏が館内に山王宮を勧請したことに始まります。その後、室町時代の文明10年(1478年)に名将・太田道灌が江戸城築城にあたり、川越山王社から分霊を城内に勧請したことで、本格的な城鎮護の神社として位置づけられました。
江戸時代に入ると、徳川将軍家から「産土神(うぶすながみ)」として尊崇を受け、社殿の造営や神領の寄進が相次ぎました。明暦3年(1657年)の「明暦の大火」により社殿を焼失したものの、万治2年(1659年)に第4代将軍・徳川家綱によって現在の永田町(星ヶ岡)の地に遷座・再建された経緯を持ちます。
天下祭として知られる「山王祭」は、神輿が江戸城内に入ることが許された数少ない格式高い祭礼であり、江戸庶民から大名まで熱狂させました。幾多の戦災を乗り越え再興を遂げた日枝大神の歩みは、常に時代の中枢と共にある不屈の守護の歴史そのものです。