昭和の「ポロリ」という現象をメディア社会学的に分析すると、そこには「テレビ局、出演者、視聴者による三者共犯関係」が存在していたことが分かります。
大衆は「見てはいけないハプニングを目撃してしまった」という背徳的な覗き見趣味(ヴォワイユリズム)を満たし、無名タレントは身体の一部を差し出すことで認知度と報酬を得て、制作側は莫大な広告収入を獲得していました。そこでは個人の尊厳を守る「心理的バウンダリー(境界線)」の概念が決定的に欠如していました。力関係の弱い立場にある新人を、エンターテインメントの消耗品として扱う構造が暗黙のうちに正当化されていたのです。
1990年代に入ると、家庭用ビデオデッキの急速な普及により映像が録画・保存・複製されるようになり、出演者のリスクは不可逆的なものへと跳ね上がりました。さらに2000年代以降のインターネットとSNSの台頭、2003年のBPO設立、企業のコンプライアンス順守意識の高まりが、この歪な共犯関係を完全に解体しました。現在では、仮に本物の事故であっても放送することは放送倫理違反となり、ネット配信の利用規約上も即座にアカウント停止やペナルティの対象となります。
昭和のお色気カルチャーを「活気があった時代」と懐古的に称賛する声は根強く存在します。しかし、テレビ史の進歩という観点で見れば、誰かの尊厳を犠牲にして成り立っていた「作られた熱狂」に終止符が打たれ、個人の人権とプロフェッショナリズムが守られる環境が整備されたことは、メディアが成熟するための必然的な軌道修正だったと結論づけられます。