そもそも、なぜ大都市近郊を流れる江戸川で、これほどまでに大量の牡蠣が自生しているのでしょうか。その背景には、江戸川放水路特有の地理的条件と、人工的な護岸構造が奇跡的(環境保全の観点からは皮肉にも)に合致してしまった生態学的要因が存在します。
江戸川放水路は、大正時代から昭和初期にかけて行われた治水事業によって開削された人工の派川です。東京湾の最奥部に位置し、淡水と海水が絶妙なバランスで混ざり合う広大な「汽水域」を形成しています。牡蠣の主食となる植物プランクトンは、上流の首都圏ベッドタウンから流れ込む窒素やリンなどの栄養塩によって爆発的に増殖します。さらに、高潮や浸食を防ぐために敷設された無数のコンクリート製消波ブロック(テトラポッド)や石積みの護岸が、牡蠣の幼生にとってこれ以上ない強固な「着生基盤」となって機能したのです。
加えて、東京湾の奥部という閉鎖的な水域では、牡蠣を捕食する天敵(クロダイ、アカエイ、ヒトデなど)の生息密度が外海ほど高くありません。自然の猛威から守られた緩やかな干潟と人工ブロックの上で、世代交代を繰り返しながら幾重にも殻を重ねた結果、干潮時には見渡す限りの岩肌が黒々とした牡蠣の絨毯で埋め尽くされるという特異な景観が生み出されました。