大口真神を語る上で欠かせないのが、古代日本の英雄・日本武尊(ヤマトタケルノミコト)の白狼伝説です。『日本書紀』景行天皇条の東征ルートをたどると、ヤマトタケルが甲斐国(山梨県)から武蔵国(東京都・埼玉県)へ山越えを試みた際、険しい山中で邪神が化けた巨大な白鹿に遭遇します。ヤマトタケルは野蒜(ノビル)を投げつけて見事に退治しますが、直後に山神の怒りによって山全体が濃い霧に包まれ、一行は完全に行き場を失って遭難の危機に瀕しました。
その絶体絶命の窮地に忽然と現れたのが、威風堂々たる一頭の「巨躯の白狼」でした。白狼は一行の前に立って歩き出し、複雑怪奇な山道を先導して、無事に尾根の出口へと導いたのです。案内を終えた狼に対し、ヤマトタケルは深く感謝し、「大口の真神としてこの山に留まり、すべての災いと魔を退けよ」と命じました。これが関東一円に広がる狼信仰の発祥とされています。
当時の山岳地帯において、濃霧や吹雪による遭難は即座に死を意味していました。オオカミの持つ鋭い嗅覚と土地勘は、人智を遥かに超越した「神のナビゲーション」に見えたに違いありません。この説話は単なる神話的ファンタジーではなく、過酷な自然に対峙した古代人が、山の主である野生動物に救いを求めた実体験の記憶が投影されています。