青の洞門を全国的に有名にした最大の契機は、大正8年(1919年)に発表された菊池寛の短編小説『恩讐の彼方に』です。この作品では、かつて主殺しの罪を犯した元武士の僧侶「了海(禅海がモデル)」が贖罪のために洞門を掘り続け、そこへ親の仇を討つべく現れた青年「実之助」が、和尚の利他と執念に心を打たれて共にノミを振るい、開通の瞬間に恩讐を越えて和解するという劇的な人間賛歌が描かれました。
しかし、中津市歴史民俗資料館などの研究資料や古記録を照合すると、文学的脚色と史実には明確な相違点が存在します。禅海和尚の若き日の素行や出家動機には諸説あるものの、仇討ちの相手が工事を手伝い和解したというエピソードは、菊池寛が創作した劇的なフィクションです。
さらに史実における特筆すべき点は、寛延3年(1750年)の第1次開通時に、禅海和尚が工事継続と維持管理のための資金調達として「人4文、牛馬8文」の通行料を徴収したことです。これは日本における「料金収受を伴う有料道路の先駆け(日本最古の有料道路)」として交通史・土木史の観点からも極めて高く評価されています。精神的な贖罪にとどまらず、合理的な土木事業としてプロジェクトを完遂させた点に、禅海和尚の真の凄みがあります。