本大会開幕直前の1998年6月2日、事前合宿地であるスイス・ニヨンで日本サッカー史上最大の衝撃が走りました。岡田監督が会見で発した「外れるのは市川、カズ、三浦カズと北澤」という言葉は、列島を揺るがすニュースとして報道各社によって一斉に報じられました。
長年「日本代表の顔」として牽引してきた三浦知良の落選については、当時様々な憶測が飛び交いました。しかし、後年の関係者証言や戦術分析から浮かび上がる真相は、「戦術的適合性」と「フィジカル・コンディション」のシビアな掛け合わせでした。
岡田監督が本大会で志向したのは、強豪国に対抗するための徹底した「守備ブロックの形成と前線からのハイプレス」でした。当時、足首や腰の故障を抱えてキレを欠いていたカズに対し、指揮官は90分間プレッシングを継続できるフィジカル的強度を求めました。さらに、チームの中心として台頭していた中田英寿や名波浩のパスワークを活かすため、裏への飛び出しに秀でた城彰二や中山雅史を重用する方針へと舵を切ったのです。
功労者への情を排し、勝率を1パーセントでも引き上げるための非情な決断。それは日本サッカーが「カリスマ依存の象徴的フットボール」から「近代的な組織フットボール」へと脱皮するための痛烈な通過儀礼でもありました。