この名曲の舞台となった「パシフィックホテル茅ヶ崎(正式名称:パシフィックパーク茅ヶ崎)」は、日本のポップカルチャー史において極めて特異な位置を占める建造物でした。その誕生から消滅に至る歩みは、そのまま昭和から平成への時代の変遷を物語っています。
開業は高度経済成長期の只中である1965(昭和40)年。映画『若大将』シリーズで国民的スターの座に君臨していた加山雄三とその親族企業(岩戸観光株式会社)が中心となり、茅ヶ崎海岸にオープンしました。当時の日本としては極めて前衛的なドライブイン型リゾートであり、プールサイドには水中をガラス越しに見通せる水中バーが設けられるなど、ハリウッドの映画スターが滞在するような贅を尽くした施設として脚光を浴びました。
しかし、その華麗な栄光は長くは続きませんでした。1970(昭和45)年、関連企業の倒産によりホテルは実質的な経営破綻に追い込まれます。加山雄三自身も約23億円という当時としては天文学的な連帯保証債務を抱え、文字通り私財を投げ打ち、全国のキャバレー回りなど過酷なステージをこなして十数年がかりで完済したエピソードは広く知られています。
その後、所有者の変遷を経てホテルは営業を継続したものの、施設の老朽化に伴い1988(昭和63)年に完全閉鎖。以後の約10年間、解体されることもなく海風に晒され続けた巨大な白い建築物は、地元で「幽霊ホテル」と囁かれる廃墟スポットへと変貌しました。そして1998年から1999年にかけてついに重機が入り、完全解体。桑田佳祐が『HOTEL PACIFIC』を発表したのは、更地となった跡地を前に、地元住民が強烈な喪失感を胸に抱いていたまさにそのタイミングだったのです。