「甲子園で勝つたびに議論になるなら、日本語の校歌に作り直せばいいのではないか」という声は、学校関係者の耳にも届いています。それでも同校が校歌の変更を行わないのには、揺るぎない学校教育上の理念と歴史的責任が存在します。
京都国際高校の理事会および教育関係者は、この校歌を「過去の困難な時代を支え、学校を立ち上げた創設者・在日同胞たちへの敬意」であると同時に、「日韓両国の架け橋となり、多文化共生社会を生きる生徒たちへの生きた教育資産」と位置付けています。批判を避けるために安易に歴史を塗り替えるのではなく、異なる文化的ルーツを認め合い、互いを尊重する姿勢こそが国際教育の本質であるという信念がそこにあります。
【プロの結論】多文化共生と国民感情の境界線から見出すべき教訓
学校経営・社会学的な視点からこの問題を分析すると、京都国際の校歌論争は「私立学校の自律的なアイデンティティ」と「公的な国民的スポーツイベント(高校野球)に求められる同質性」の摩擦と言えます。高校野球が持つ強烈なナショナリズムや地域代表性の中で、異なる言語の校歌が響くことに対する心理的抵抗感は一定数生じるものの、それを排斥するのではなく、背景にある歴史を正しく学び、多様なルーツを持つ若者が同じルールのもとで正々堂々と競い合う姿を認めることこそが、成熟した市民社会に求められる姿勢と言えます。