指定暴力団として対立を続けた旧・旭琉会と沖縄旭琉会は、なぜ20年以上の恩讐を乗り越えて再統合に至ったのでしょうか。その背景には、組織の存亡を揺るがす構造的危機が存在していました。
最大の要因は、警察当局による徹底的な包囲網と、2011年に全国で整備された暴力団排除条例(暴排条例)の施行です。銀行口座の開設拒否、不動産契約の遮断、みかじめ料授受への厳罰化により、対立抗争を維持する資金力(シノギ)は枯渇。抗争を継続すれば双方共倒れになるという危機感が首脳陣を突き動かしました。
加えて、山口組をはじめとする本土巨大組織の影も無視できませんでした。沖縄の組織が分裂・疲弊した間隙を縫って本土系が進出すれば、沖縄独自の縄張りが侵蝕される懸念がありました。関係筋の証言によると、「沖縄の縄張りはウチナーンチュ自身で守り抜く」という防衛意識が、幹部間の対立感情を上回ったとされています。
2011年11月、那覇市内で開かれた手打ちの儀式を経て、双方は「旭琉會」(旧字体の會を採用)として一本化を宣言。会長には沖縄旭琉会を率いた富永清が就任し、旧・旭琉会の四代目会長であった花城松一が後見人・顧問に退く形で、約21年におよぶ分裂状態に終止符が打たれました。