広く定着した「尊い」という言葉ですが、普及に伴い、いくつかの誤解やすれ違いも生じています。筆者が現場で取材を進める中で見えてきた、3つの落とし穴を指摘します。
第1の誤解は、「誰に対しても褒め言葉として使えるわけではない」というTPOの盲点です。親密な友人同士やSNS上では最上級の賛辞ですが、目上の人物やビジネスの席で「課長、昨日のプレゼン本当に尊かったです」と発言すれば、奇異の目で見られるだけでなく、相手の威厳を茶化していると受け取られかねません。あくまで感情のスラングであることを忘れてはなりません。
第2の誤解は、「エモい」との完全同一視です。前述の通り、「エモい」は感傷的・哀愁・ノスタルジーを包括する情緒的な広がりを持つのに対し、「尊い」には明確に「敬虔さ」「崇拝」「手触りの美しさ」という軸が存在します。物寂しい夕暮れの路地裏は「エモい」ですが、それ単体を「尊い」と呼ぶことは通常ありません。
第3の誤解は、「尊いと連呼していればファンとして熱心である」という同調圧力です。SNS上でフォロワーとの共感を保つため、心からそう思っていないにもかかわらず「尊い」を機械的にリプライする現象も見受けられます。これにより、言葉自体のエモーショナルな純度が希釈されてしまうという指摘もなされています。