『ベニスに死す』の公開後、日本においてビョルン・アンドレセンの人気は熱病のような加熱ぶりを見せました。1971年から1972年にかけての来日時には、羽田空港に数千人のファンが押し寄せ、機動隊が出動する大騒動へと発展しました。
日本滞在中、彼は日本語によるポップスシングルを数曲レコーディングさせられたほか、明治製菓(現・明治)のチョコレート「エクセル」のテレビCMに出演。息つく暇もない過密スケジュールの中で、精神安定剤を処方されながら仕事をこなす日々を強いられました。この背景には、幼少期に母を亡くした彼を引き取り、孫の容貌を金銭に変えようとした祖母の強い意向が働いていたことが後に明かされています。
一方で、彼の神秘的な容貌は日本のポップカルチャーに計り知れない足跡を残しました。漫画家の池田理代子氏は、名作『ベルサイユのばら』の主人公オスカル・フランソワ・ド・ジャルジェのビジュアルモデルがビョルン・アンドレセンであることを公言しています。また、竹宮惠子氏の『風と木の詩』をはじめとする初期の少女漫画やボーイズラブ文化における「美少年像」の原型は、彼がもたらした視覚的衝撃によって決定づけられたと言えます。