現在のユーモラスなキャラクターからは想像もつきませんが、出川哲朗の若い頃はまったく異なる夢を抱いていました。実家は神奈川県横浜市で100年以上続く老舗「つた金海苔店」。何不自由なく育った彼は、伝説のロックスター・矢沢永吉に心酔し、リーゼントに革ジャンというスタイルで俳優を目指していました。
高校卒業後、演技を学ぶために進学したのが日本映画学校(現・日本映画大学)の俳優科です。ここで運命的な出会いを果たしたのが、ウッチャンナンチャン同級生として知られる内村光良と南原清隆でした。同校の第2期生として机を並べた彼らは、映画や演劇の未来を熱く語り合う盟友となります。
卒業後の1987年、内村や南原、入江雅人らとともに「劇団SHA・LA・LA」を旗揚げし、出川は座長を務めました。ウッチャンナンチャンがお笑い界のスターダムを一気に駆け上がっていく一方で、出川は劇団公演を続けながら、映画『男はつらいよ』シリーズの端役などで地道な下積みを重ねていきます。やがて盟友である内村・南原の番組『ウッチャン・ナンチャン with SHA.LA.LA.』や『ビートたけしのお笑いウルトラクイズ』への出演をきっかけに、天性のリアクション才能が開花していきました。
「役者志望のプライド」を完全に捨て去り、「笑いのためにピエロになる」と腹を括った瞬間から、出川哲朗の伝説的な芸人人生が本格的にスタートしたのです。