この戦慄の解釈は、歴史的事実に基づいたものなのでしょうか。江戸時代の貨幣制度や農村社会の記録、民俗学の調査報告を突き合わせると、決定的な事実の齟齬が浮かび上がってきます。
まず検証すべきは、花一匁の語源と当時の貨幣価値です。「匁(もんめ)」は江戸時代、主に関西(上方)で流通していた銀貨の重量単位でした。1匁は約3.75グラムに相当します。当時の米価や物価動向から現在の価値に換算すると、銀1匁はおよそ1,500円〜3,000円前後(米価基準か労賃基準かにより変動)に過ぎません。
江戸時代、凶作時の「身売り」や奉公への斡旋といった過酷な歴史的事実自体は確かに存在しました。しかし、年季奉公の前借金や身売りの対価として動いた金額は、一般的に安くても数両から数十両単位です。金1両は銀約60匁に換算されるため、仮に子どもを買い取るとなれば数百匁以上の金銭が動くのが当時の相場でした。わずか「銀一匁(数百円〜数千円)」で子どもが人身売買されるような取引実態は、いかに過酷な時代であっても経済的・史料的に成り立ちません。
民俗学者の小泉文夫氏や児童遊戯の研究者たちが収集した膨大な地方歌の採集データによると、「花一匁」の元ネタは、春の訪れとともに野山で摘んだ花を売買する「花売りの掛け合い遊び」や、正月行事に伴う商人の物売り歌がルーツとされています。「勝って嬉しい」は花を安く値切って買い叩いた側の喜びであり、「負けて悔しい」は安値で手放して損をした売り手側の無念を表した商売の駆け引きでした。
「あの子が欲しい」というやり取りも、もともとは「花を一匁分おくれ」「どの花がいいか相談しよう」という花の品定めが、集団遊びの過程で「人間を取り合う陣取りゲーム」へと変形していったに過ぎません。恐ろしい人身売買の隠喩ではなく、商売の模倣遊びが子どもたちの間でゲームとして定着したというのが、民俗学における揺るぎない結論です。