「八重歯が邪魔だから、この飛び出た歯だけを抜いてしまえば手っ取り早く綺麗になるのではないか」――矯正治療の知識がない一般読者がそう考えるのは無理もありません。しかし、真っ当な歯科医師であれば、健康な犬歯を単独抜歯することは原則として絶対にあり得ません。
犬歯を抜いてはならない最大の医学的理由は、「犬歯誘導(カスピッド・プロテクテッド・オクルージョン)」という生体防御機能にあります。人間が顎を左右にギリギリと動かした際、上下の犬歯同士が擦れ合ってガイドとなり、奥歯(臼歯部)同士がぶつかり合わないように隙間を作る仕組みが備わっています。
犬歯は非常に長い歯根を持ち、強大な側方破砕力に耐えられる唯一の歯です。もし犬歯を喪失すると、横からの過度な負荷がすべて奥歯や顎関節にダイレクトにかかることになります。その結果として引き起こされる代償は甚大です。
- 奥歯の早期破折・咬耗:守り手を失った奥歯にヒビが入り、将来的な抜歯リスクが跳ね上がる。
- 顎関節症の深刻化:下顎の動きを制御できなくなり、関節円板のズレや口の開閉障害、激しい偏頭痛を誘発する。
- 全身への不定愁訴:噛み合わせの崩壊から頸椎の歪み、慢性的な肩こり、自律神経失調症状へと波及する。
そのため、医学的正道である歯列矯正では、犬歯の機能を温存するために犬歯そのものではなく、そのすぐ後ろに位置する「第一小臼歯(前から4番目の歯)」を便宜抜歯し、できたスペースに犬歯をスライドさせて正しいアーチへ納める手法が取られます。