中原中也の公式な死因は、医学的には結核性脳膜炎(けっかくせいのうまくえん)と記録されています。彼が帰らぬ人となったのは1937年(昭和12年)10月22日、享年はわずか30歳でした。
結核性脳膜炎とは、結核菌が血流に乗って脳を包む髄膜に到達し、激しい炎症を引き起こす中枢神経系の重篤な疾患です。抗生物質ストレプトマイシンが実用化される以前の戦前日本において、この病は発症すれば致死率がほぼ100%に近い極めて恐ろしい病気でした。激しい頭痛、嘔吐、高熱、痙攣、そして意識混濁を伴い、発症から数週間で命を奪うケースが大半を占めていました。
中也の病状が急激に悪化したのは、1937年の初秋のことです。重い神経衰弱と体調不良を抱え、故郷の山口へ戻る準備を進めていた矢先の10月4日、突如として激しい頭痛と高熱に襲われ倒れました。翌日には鎌倉養生院(結核療養施設)へ緊急入院することになります。
鎌倉養生院での闘病生活は、壮絶を極めました。入院当初は一時的に意識が明瞭になる時間帯もあったものの、病勢の進行は極めて早く、激痛と意識障害の波が詩人の痩せ細った肉体を激しく苛みました。医師たちによる懸命な対症療法も虚しく、発症からわずか18日後の未明、中也は帰らぬ人となりました。