徳川昭武が世界舞台に登場したのは、慶応3年(1867年)のパリ万博です。兄・徳川慶喜の名代(将軍名代)としてフランスに派遣された当時、昭武は数え年で15歳、満年齢ではまだ13歳4か月の育ち盛りの少年でした。
名写真家ナダールらが撮影した有名な肖像写真において、昭武は陣羽織を纏い、威風堂々たる眼差しでレンズを見据えています。欧州各国の王侯貴族やナポレオン3世に謁見した際、フランスの主要紙『ル・フィガロ』や『イリュストラシオン』は、その非の打ち所のない立ち振る舞いと気品を「東洋の生けるプリンス」として驚きをもって報じました。
当時撮影された外国人側近や随員との集合古写真を精緻に分析すると、渡仏直後の昭武の身長は140cm台前半から半ば程度であったことが確認できます。13歳前後の男子としては標準的な体躯でしたが、頭部が非常に小さく手足が長いため、写真単体で見ると大人の騎士のような堂々たるスケール感を醸し出していました。
その後、フランスでの5年間に及ぶ留学生活(明治元年に一度帰国後、再度渡仏)と成長期を経て骨格は大きく伸長し、帰国する頃には立派な青年貴族の体格へと変貌を遂げていきます。