埼玉県入間郡はなぜ飛び地?3町の歴史と住みやすさを徹底検証【2026】

埼玉県入間郡はなぜ飛び地?3町の歴史と住みやすさを徹底検証【2026】

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地元住民以外から頻繁に寄せられるのが、「入間市は入間郡の中心都市なのか?」という誤解です。行政区分として、入間市と入間郡は完全に独立した別の自治体であり、現在、入間市の中に入間郡があるわけでも、入間郡の中に入間市があるわけでもありません。

この混乱の原因は、1966年(昭和41年)の市制施行に遡ります。現在の入間市は、かつて入間郡に属していた豊岡町、金子村、宮寺村、藤沢村などが合併して誕生した「武蔵町(むさしまち)」が母体となっています。武蔵町が市制を施行する際、西武池袋線沿線の中心核として発展していたこと、そして古代以来の由緒ある地域名を受け継ぐ意図から、新市名に「入間市」を採用しました。

つまり、「入間」という広域地名を入間市が市名として掲げて単独歩みを始めた一方で、入間郡という広域名称自体は、残された町村を束ねる地理的呼称として存続したという構図です。現在、入間郡(三芳町・毛呂山町・越生町)の住民が入間市役所へ行くことは基本的にありません。生活圏としても、三芳町は東武東上線沿線(所沢・富士見・ふじみ野方面)、毛呂山町・越生町は坂戸や川越、八高線沿線と結びついており、入間市とは生活動線が異なっているのが現実です。

山本 拓海
著者

山本 拓海

デジタルガジェットとスマート家電の検証記事を多数執筆。失敗しないモノ選びを提案します。