ドリフターズの歴史は、栄光と同時に別れの歴史でもありました。惜しまれつつ世を去ったメンバーたちの当時の経緯と、遺された言葉を改めて検証します。
いかりや長介:没年月日と「だめだこりゃ」に残された統率力
グループの大黒柱として厳格なリーダーシップを敷いたいかりや長介の没年月日は2004年3月20日です。死因は頸部リンパ節がん。闘病中も復帰を信じて台本に目を通し、最期まで芸人としての執念を燃やし続けました。葬儀・告別式で加藤茶が読んだ弔辞「長さん、あんたが逝ったらドリフはどうなるんだよ。でも、残されたメンバーでドリフを守っていくよ」という涙の誓いは、今も多くの人々の記憶に刻まれています。後年は俳優としても卓越した存在感を示し、映画『踊る大捜査線 THE MOVIE』で日本アカデミー賞最優秀助演男優賞を受賞するなど、エンターテインメント界に不滅の足跡を残しました。
志村けん:日本中を襲った悲痛な死因と急逝の衝撃
2020年3月29日、日本中が信じられない思いで受け止めたのが志村けんの死因となった新型コロナウイルス感染症に伴う肺炎でした。感染判明からわずか数日での容態急変であり、当時世界中を覆っていた未知のウイルスへの恐怖と悲しみが列島を直撃しました。東村山音頭、変なおじさん、バカ殿様など、独自のキャラクターで世代を超えて愛された喜劇王の突然の旅立ちに、盟友の加藤茶は追悼番組で「志村、ひどいよ。お前が一番若かったじゃないか」と言葉を詰まらせ、国民的な涙を誘いました。
仲本工事:事故経緯とあまりに突然だった別れ
体操コントで見せた抜群の身体能力と、とぼけた味わいの歌声で人気を博した仲本工事の事故経緯は、あまりにも唐突なものでした。2022年10月18日午前9時過ぎ、横浜市西区浅間町の交差点付近において、横断歩道のない道路を歩行して横断していたところ、直進してきた乗用車にはねられました。直ちに救急搬送され開頭手術などの治療が行われたものの、翌10月19日午後10時22分、急性硬膜下血腫のため搬送先の病院で息を引き取りました。志村の死からわずか2年半後、81歳で迎えた予期せぬ悲劇に、現場検証の報道を見たファンは深い痛恨の念に包まれました。
荒井注:脱退理由の真相と晩年の温かな交流
初期のドリフブームを牽引した荒井注の脱退理由は「体力の限界」でした。週1回の生放送『8時だョ!全員集合』の過酷な稽古とプレッシャーに疲弊した荒井は、「体力的にもうコントについていけない、若いやつに譲りたい」として1974年に勇退。その交代劇で正式メンバーとなったのが、当時付き人だった志村けんでした。脱退後もメンバーとの確執はなく、特番やドラマで共演を重ね、2000年2月9日に静岡県内で肝不全のため71歳で急逝した際も、メンバー全員が葬儀に駆けつけ、古き良き友との別れを惜しみました。