昭和53年(1978年)12月にリリースされた桑名正博さんの名盤『ロード・マシーン』に収録され、後にシングルカットもされた『月のあかり』。この楽曲の骨格を築いたのは、フォーク界の孤高の吟遊詩人として知られるシンガーソングライターの下田逸郎氏です。
制作当時、すでにロッカーとしての確固たる地位を築きつつあった桑名正博さんと下田逸郎氏の出会いは、まさに必然でした。夜の街で酒を酌み交わし、人生と音楽を語り明かすなかで、下田氏が手元で温めていたプライベートな別れの歌が桑名さんの琴線に触れました。「この歌は、俺が歌わなアカン」――桑名さん本人が当時の特番インタビューや手記で語ったとされるその直感こそが、すべての始まりでした。
歌詞の核心に迫ると、描かれているのは劇的な破局ではなく、互いの心が離れていくことを静かに受け入れざるを得ない「大人の引き際」です。とりわけ印象的なのが、「馬鹿だなあ 馬鹿だなあ 騙されたわけじゃないのに」という印象的なフレーズです。心理学的な視座で見れば、ここには失恋の痛みを他者のせいにせず、自らの愚かさとして引き受ける「成熟した哀哀」と、傷ついた自己を守るための切ない防衛機制が巧みに表現されています。
実在の女性モデルが存在したのかという点については、下田氏が旅先で経験したほろ苦い別離の情景と、桑名さん自身が抱えていた生来の孤独感が二重写しになっていると関係者の間では語り継がれています。虚勢を張りながらも月の光の下で涙をこぼす男の弱さを、桑名さんの色気と哀愁を帯びた歌声が完璧に具現化し、聴く者の記憶にある「忘れられない誰か」を呼び覚ます名作が誕生しました。