慶喜の人物像を語る上で欠かせないのが、慶応3年(1867年)に断行された大政奉還の英断です。260年以上続いた徳川宗家の権力を朝廷に返上するという決断は、並大抵の胆力で下せるものではありませんでした。
長年、鳥羽・伏見の戦いにおける「敵前逃亡」と批判的に捉えられてきた大阪城からの退却劇についても、近年では再解釈が進んでいます。歴史研究者や作家の検証によると、慶喜の最大の目的は「日本国内での全面的な泥沼内戦を避け、列強諸国(イギリス・フランス)による植民地化の口実を与えないこと」でした。自分が全責任を背負って朝敵の汚名を被ってでも、国家の破滅を防ぐという冷徹なまでの大局観。感情論に流されず、合理性を貫き通した冷徹なリアリズムこそ、慶喜が持つ真のリーダーシップのかっこよさと言えます。
私生活におけるエピソードや性格も非常に個性的でした。食へのこだわりが強く、当時としては極めて珍しい豚肉を好んだことから「豚一様(豚肉好きな一橋様)」と庶民から仇名されたり、自らパンを焼いたり、コーヒーを嗜んだりといった逸話が残されています。周囲の目線を気にせず、自分が納得した価値観に忠実に生きる姿勢は、同調圧力の強い日本社会において痛快な清々しさを感じさせます。