直接的な普仏戦争の原因となったのは、1868年の革命によって空位となったスペイン王位継承問題です。スペイン側がプロイセン国王の親戚であるホーエンツォレルン家のレオポルトを新国王に推戴しようとしたことで、東西を親プロイセン勢力に挟まれる形となるフランスは猛反発しました。
プロイセン国王ヴィルヘルム1世は衝突を避けるため一度は推戴辞退に応じました。しかし、フランスの過剰な要求(将来にわたる推戴辞退の約束)を温泉地エムスで国王が丁重に拒否した報告電報を受け取ったビスマルクは、この状況を千載一遇の好機と捉えます。
ビスマルクは電報の文面を意図的に要約・改変し、「フランス大使が非礼な要求を突きつけ、国王がそれを侮辱的に追い返した」かのように読めるプレスリリースを各国メディアへ流しました。これが歴史に名高い「エムス電報事件」です。フランス世論は激昂して開戦論一色となり、南ドイツ諸邦も「祖国への不当な侵略」としてプロイセンへの全面協力を決意。ビスマルクは一切の手を汚さず、相手から宣戦布告を行わせる完璧な舞台を作り上げました。