順風満帆に見えたアナウンサー人生だったが、30代半ばで一度大きな転機を迎える。父が経営する家業「御法川通信機」を継ぐため、1979年に文化放送を退職。マイクを置き、セールスマンとして全国の取引先を回る営業の日々へと身を投じた。
だが、この「マイクから離れた下積み期間」こそが、彼の人間観察眼を劇的に進化させる。自社製品を売り込むため、全国の市町村や水道局を訪ね歩き、あらゆる階層の人々と対話し、頭を下げ、信頼を勝ち取る。この泥臭い営業経験が、後に主婦層や一般視聴者の本音・痛みを敏感に察知する類まれな共感力へと結びついた。やがて喋り手への情熱を抑えきれずフリーアナウンサーとして再起した時、彼は単なる美声のアナウンサーではなく、圧倒的な「人間力」を帯びた語り手へと進化を遂げていた。