朝顔と日本文化の関わりは古く、奈良時代末期に遣唐使が中国からその種子を持ち帰ったことが始まりとされています。当時の朝顔は観賞用ではなく、高価な下剤・利尿薬として重宝される「牽牛子(けんごし)」と呼ばれる薬用植物でした。牛を引いて種子を買い求めたという故事がその名の由来であり、当時としては極めて貴重な財産として扱われていました。
平安時代に入ると、貴族階級の間でその美しさが愛でられるようになり、『万葉集』や『源氏物語』などの古典文学に登場します。ただし、当時の古典に記された「朝顔」の一部は桔梗(ききょう)や槿(むくげ)を指していたという考証もありますが、朝の清々しい時間にのみ咲き誇るその姿は、平安貴族の美意識である「もののあわれ」と深く結びついていきました。「朝顔の花言葉 はかない恋の理由」は、現世の栄華や恋心の移ろいやすさを植物の命の短さに重ね合わせた、日本古来の文化的遺伝子から導き出されたものです。
朝顔文化が爆発的な発展を遂げたのは江戸時代です。文化・文政期(19世紀初頭)および嘉永・安政期(19世紀半ば)に二大ブームが巻き起こり、下級武士や町人たちが競い合うように交配を重ね、花弁の形や色が変異した「変化朝顔(へんかあさがお)」を生み出しました。東京・入谷の「朝顔市」に代表される庶民文化へと根付く過程で、朝顔は「夏の訪れを告げる縁起の良い親しみ深い植物」としての地位を揺るぎないものにしました。