昭和の性表現の歴史を語るうえで避けて通れないのが、刑法175条「わいせつ物頒布等の罪」と警視庁保安課による厳しい取り締まりの壁です。かつての出版界では、女性の陰毛(アンダーヘア)が写り込むことは絶対のタブーとされ、違反すれば即座に発売禁止や印刷機の差し押さえ、編集者の逮捕へと直結していました。
この強固な規制に対し、出版人や写真家たちは知恵を絞り、トリミング、エアブラシによる修正、あるいは黒ベタや「ぼかし」といった手法で対抗しました。しかしその一方で、過度な修正が写真本来の芸術性を破壊するという痛烈なジレンマを抱え続けていたのです。昭和グラビアアイドル歴史の黎明期から1970年代にかけて、『平凡パンチ』や『GORO』といった男性週刊誌が切り拓いたグラビア表現は、常に国家権力の検閲基準とのギリギリのチキンレースでした。
この分厚い岩盤に風穴を開けた決定打こそが、写真家・篠山紀信氏の飽くなき挑戦でした。昭和末期から水面下で進められていた表現の脱タブー化は、1991年(平成3年)の樋口可南子写真集『water fruit』において、ついに陰毛を修正しない「ヘアヌード」の出版へと結実します。一般に「平成の出来事」と記憶されがちなヘア解禁ですが、その実態は昭和ヘアヌード解禁経緯として地続きであり、昭和50年代から篠山氏が展開した「激写」シリーズや、司法・世論を揺るがし続けた写真表現の闘争の総決算でした。これにより、昭和芸術写真評価の基準は、単なる風俗的興味から「作家と被写体による純粋表現」へとパラダイムシフトを遂げたのです。