激化を極めた山竹抗争の真相を紐解く鍵は、1985年に起きた四代目山口組・竹中正久組長射殺事件の処遇を巡る、強烈な遺恨と組織方針の食い違いにあります。
一和会による竹中正久組長暗殺を受け、山口組は苛烈な報復を展開(山一抗争)。その後、一和会が解散へと追い込まれる中で、山口組執行部は事態の早期収拾と五代目体制への移行を図るため、暗殺計画に関与した旧一和会最高幹部らの引退・処罰を条件に「手打ち(和解)」を受け入れる方針を固めました。
しかし、正久組長の実弟であり、二代目竹中組を率いていた竹中武組長はこれに猛反発。「兄を殺害した首謀者や実行犯を絶対に許さない」という強硬姿勢を貫き、執行部の方針に従うことを拒絶しました。この信条の相違こそが、山竹抗争の最大の理由です。結果として竹中組は山口組を脱退・絶縁処分となり、巨大組織山口組と孤高の武闘派・竹中組による全面対決の火蓋が切って落とされました。