3兄弟が分断されることになった発端は、1982年の小泉純一郎氏と宮本佳代子さんの離婚にあります。当時、長男の孝太郎氏は4歳、次男の進次郎氏はわずか1歳でした。離婚成立の協議において、上の2人の親権は父である純一郎氏が持ち、小泉家で育てることになりました。
その際、佳代子さんのお腹の中にはすでに新しい命が宿っていました。離婚後に誕生した男の子が三男・佳長氏です。佳代子さんは女手一つで佳長氏を育てる決意をし、名字も小泉ではなく母方の「宮本」を名乗ることとなりました。
政治家の名門としての世間体や後継者問題、さらには親権争いの余波もあり、小泉家側は母子との接触を厳しく遮断しました。佳長氏が学生時代、父である純一郎氏に会うため議員会館を訪ねたものの、面会を拒絶されたという冷徹なエピソードも残されています。「大人の事情」によって、佳長氏は思春期に至るまで、実の父親や2人の兄と顔を合わせることすら許されない過酷な環境を生き抜きました。